言い過ぎを避けようとするあまり、表現を弱めた文章は当然主張が弱くなります。また、場合によっては、申請者がやった(発見・発明・考えた)という事実をアピールできません。
言い切るためには、根拠を示さねばならず、必然的に論理的な文章になります。さらに、文末がすっきりとすることで、文章を短くし主張をわかりやすくするという効果も期待できます。
データが足りず推定にとどまっている場合は示唆されたで構いませんが、ある程度のデータが揃っており客観的に見ても主張に無理がない場合は「明らかにした」「示した」と言い切る方が説得力があります。
また、受動態の文章は回りくどく、主張が弱くなりがちです。能動態にして言い切る方がわかりやすさという点では優れています。また、「誰が」という情報を加えることもアピールという点では良いかもしれません。人によってはくどいと感じるかもしれませんが、日本人の文章は控えめであることが多いので、その中では目立つと思います。
英語論文でも通常は受動態で書きますが、NatureやScienceクラスになると意識的に能動態の割合を増やします。こうすることで、「私(たち)が」やったということをアピールしています。
同様に一般的な事実についても言い切らないために、回りくどい文章になっている場合があります。この場合だと、次に何か否定の言葉が来るのではないと構えて読んでしまいます。つまり、
「また、XXXではYYYがZZZされることが確認されている。しかし、申請者らの実験からは、YYYはむしろAAAされることを明らかにした。」
という内容を予期してしまうわけです。
このような場合は前半部分は一般的事実ではないと書き手であるあなたは思っているわけですから、このように「(誰か他人によって)確認されている。」という書き方はしっくりきます。
実際にあった良くない表現集
余談
「〜はほとんど」や「〜はほぼ」のように字形が似たひらがなが続くところは日本語の文章において鬼門の一つです。本質的に解決する方法はなく、読点をいれて「〜は、ほとんど」とするか、「〜は全く」のように言い換えるか、語順を変えるしかありません。トリッキーな方法としては半角スペースを入れて視覚的に区切る場合もありますが、これに関しては私は諦めています。