仮説駆動型とデータ駆動型

研究の種類はしばしば仮説駆動型(hypothesis driven)とデータ駆動型(data driven)にわけられることがあります。一般に、仮説駆動型とは「ある仮説を事前に設定し、その仮説検証を行うことで実験を進める手法」であり、データ駆動型とは「事前の仮説(バイアス)無しに対象を観察したり、データを取得したりし、それらの結果から何が言えるのかを考える手法」とされています。

 

仮説駆動型は悪なのか?

ときどき、仮説駆動型は事前のバイアスがきつすぎて捏造などを生み出す温床となるという批判があります。確かに事前に「こうあるべきだ」「こうあって欲しい」という思いが強いと事実を見落としたり、誤認したりします。

たとえば、以下の動画を見て、白チームのパスの回数を数えてみてください。

 

多くの人はパスの数を数えることに集中するあまり、ムーンウォークする人の存在を見落としていたと思います。このように、バイアスとなり得るような事前の仮説を設ける仮説駆動型は(日本では特に)危険な研究手法と見られているように感じます。

実際、ある現象が起きるというデータを取りたい人が、延々と実験を続けたまたまそういうデータが出ると「やっと、うまくいった」と思い実験を中止するようなことが問題となっています。

 

しかし、こうした問題はデータ駆動型でもあり得ます。解析する以上、ある目的を持っているのは明らかです。意味なく、解析する人はおらず、必ず「こうだったらいいな」という思いがあるはずであり、結局これがバイアスとして働きます。

つまり、バイアスによるデータの取得・解釈のゆがみは仮説駆動型かデータ駆動型かといった問題ではなく、別の問題であることがわかります。

 

結局は研究ステージの違いにすぎない

そもそも、仮説駆動型、データ駆動型という名称が混乱を生む元凶です。ここでは仮説駆動型のことを仮説立証実験(hypothesis proving)、データ駆動型のことを仮説生成実験(hypothesis making)と呼ぶことにしたいと思います。

 

つまり、まだ研究上の仮説が存在しない段階では何が研究テーマになり得るのか判らないため、あらゆることを試す必要があります。例えば、オミクス解析や対象の観察などはこうした場合を含むでしょう(もちろん、仮説を証明するための実験である場合もあります)。

一方で、研究上の仮説が定まったら、それを証明するステージに移行します。明確な仮説がある以上、事前の仮説なしに実験することはピント外れの実験を多く含むことになり効率が落ちます。

 

つまり、実験ステージは仮説生成→仮説証明→結論(論文化)と進むのであり、データ駆動型が正義で仮説駆動型は危険な手法だという指摘はナンセンスです。どちらの手法をとるのかは実験のステージで決まるだけの問題なのです。

 

データの取得や解釈のゆがみの問題はどう扱うべきか

さきほど別問題としたデータ取得や解釈のゆがみが生じるという問題に対してはどう考えるべきでしょうか?

これは、生成した仮説に対する思い入れが強すぎることが原因です。「この仮説で間違いない」という思いが強ければ強いほど、不都合なデータには目をつぶりたくななるものです。ですので、仮説はあくまでも仮説であり、「事実に勝る面白いものは無し」という意識を普段からしっかりもっておくことでしょう。もし指導者の立場であるならば、「これはあくまでも仮説であり、予想と違ったデータがでたら、仮説を修正してより面白いものにしよう」というメッセージを強く伝えておく必要があります。

 

仮説駆動型(仮説証明型)とどう付き合うべきか

とはいえ「アメリカのような仮説駆動型至上主義はゲーム感覚となり、危うい」という指摘はその通りだと思います。彼らはテニュアを取るために、必死でデータを「作って」きます。これこそが、トップジャーナルに出たデータの大半は再現性が無いといわれる原因でしょう。彼らはQuick and dirty proof of concept(汚くてもいいから、素早くコンセプトを証明する)ことを徹底しており、そうした人たちと競争するためには誰も真似できい職人の域に達するか、外国の研究者に対抗できるスピードでやるということになるでしょう。

しかし、誤解を恐れずに言えば、日本人研究者の多くは「捏造である・再現性が無い」という誹りを受けることを過度に恐れるあまり、職人技を身に着けることに熱心で、それゆえに、競争に負けている例が多くあるようにあります。個人的にはもう少しQuick and dirtyな研究スタイルが普及しても良いように思います。今のままでは、ルールの違うゲームで戦っているようなものです。彼らは「あの時のデータでは、あの判断が最も合理的であった」と言います。これくらいの図太さがあっても良いのではないでしょうか(もちろん故意の捏造等は論外ですが、石橋を叩きすぎて壊すぐらいならエイやと渡る大胆さが欲しいという意味です)。

 

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