申請書をわかりやすく書き、主張をしっかりと審査員に伝えるためには論理的であることが求められます。では、どういった文章が論理的なのでしょうか?
科学的な文章の最小単位である「小さな主張」の繰り返しです。そしてその小さな主張を組み合わせて「中くらいの主張」とし、中くらいの主張を組み合わせて「大きな主張」とします。大きな主張とは文章全体を通じての主張そのものです。
基本的には、このようなマトリョーシカのように入れ子構造が明確な文章は論理的であるとみなされ、それを破ると非論理的とみなされます。
小さな主張
(1)○○○から○○○であると予想される。(仮説)
(2)研究の結果○○○というデータが得られた(結果)
(3)このデータから○○○であると考えられる(根拠・推論)
(4)したがって○○○である(結論・主張)
ここでのポイントは、絶対の真実は存在せず、(3)(4)はあくまでもあなたの主張であるということです。あなたの主張をより多くの人に納得してもらうためには、結果を示すだけでは十分ではありません。絶対的な真実が何かわからず、それを確認するのも難しいのであれば、同じ結果であっても解釈が異なる可能性がありますので、
のように、あなたの主張をわかりやすい形で宣言する必要があります。論理的でない文章の多くは(1)(2)だけが述べられており、(3)(4)が無いか不十分です。結果だけを示されて、あなたの主張やその妥当性を判断せよと言われても無理な話です。ましてや審査員は分野外であり専門家ではないので、なおさらです。
(4)は別の言い方をすれば「研究の位置づけ」です。これまでの結果に対してこの結果はどうであると言えるのか、はあなた自信が示さなくてはいけません。
中くらいの主張、大きい主張
説得力という観点では小さな主張だけでは不十分です。別の方法でも同じような主張が可能である、他の方法でも矛盾しないなどのサポートデータが必要な場合もあるでしょうし、複数の小さな主張を「結果」として組み合わせることでより大きな主張とすることも可能でしょう。
(1)○○○から○○○であると予想される。(仮説)
(2)研究の結果小さな主張1-3が得られた(結果)
(3)このデータから○○○であると考えられる(根拠・推論)
(4)したがって○○○である(結論・中くらいの主張)
さらにこの中くらいの主張を組み合わせれば大きな主張になる、というわけです。まさにマトリョーシカのように主張を無限に組み合わせていくことが可能ですが、一度の研究でできるのは頑張ってせいぜい大きな主張まで、ということで、入れ子構造はそれほど深くすることはオススメしません。入れ子構造を深くしすぎると全体がわかりにくかったり、主張の完全性を示しにくくなったりするからです。
主張どうしのつなぎ
論理的な文章でなくなってしまう、もう一つの理由は主張どうしのつなぎが甘いことにあります。もう一度、「小さい主張」を見てみましょう。
(1-1)○○○から○○○であると予想される。(仮説)
(1-2)研究の結果○○○というデータが得られた(結果)
(1-3)このデータから○○○であると考えられる(根拠・推論)
(1-4)したがって○○○である(結論・小さい主張1)
(2-1)(1-4)から○○○であると考えられた。(仮説)
(2-2)そのことを確認した結果○○○というデータが得られた(結果)
(2-3)このデータから○○○であると考えられる(根拠・推論)
(2-4)したがって○○○である(結論・小さい主張2)
のように(仮説)は前の結論や主張を受けて立てられるものであり、個々の小さな主張は決して独立の存在ではなく、連続したものです。この連続性が読み手に伝わらなければ、論理の飛躍と見なされてしまいます。
本当に論理が飛躍している場合と、申請者の方では自明だと思っているが読み手は知らない(そうは思わない)という認識のズレの場合がありえます。後者のケースが相当数ありますので、読み手のレベルを予想すると同時に論の流れが自然かどうかについては丁寧にチェックする必要があります。
最後に
ここでは結果~結論の部分での論理構造を見ましたが、同様のことはイントロでもメソッドでもありえます。
これが大原則です。