研究を初めたばかりの学生さんに多くある悩みです。ただし、このサイトを見ている以上、申請書を書こうというモチベーションはあるという前提で解説します。
研究の重要性がわからない。枝葉ばかりやっているような気がする。
誰しもが通った道だと思います。その感覚の半分は当たっていますし、半分は当たっていません。自分自身が研究の重要性をわかっていないということは、それをうまく説明できないということであり、申請書においては致命的です。
その理由の1つは知識不足です。研究とはそれ単独で成立するものではなく、過去の研究の流れを引き継いでさらに発展させるものであるため、過去にどういう研究がなされており、何がわかっていて何がわかっていないのか、その結果何が問題となっているのかを理解しないことには、あなたの研究の重要性は理解できないでしょう。関連する論文や資料にもう一度目を通し、研究の流れを理解しましょう。
理由の2つ目はコミュニケーション不足です。おそらくあなたはテーマの設定者の真の意図を理解していません。まずは研究の意図を穏やかに聞いてみましょう。そして説明されたことを一旦は受け入れてよく考えてみましょう。私の周りにも、自分だけが不当に虐げられていると感じ、教員や先輩と険悪になってしまい研究をやめた人が多くいます。優秀な人もいただけにもったいないなと思います。まずは理解する努力をして、調整して、互いに歩み寄ることが重要です。どうしても納得できないなら、予備データなり文献なりを示しなるべく論理的に相手を説得することを試みましょう。
しかし、もしかしたらあなたの感覚は当たっているかもしれません。あなたにうまく意図を説明できないような研究テーマだとしたら、それは本当にテーマがしょぼい可能性はあります。そうだとしたら、おめでとうあなたの感覚は正常です。ただし、まずは目の前のテーマを片付けてからの方が良いでしょう。どんなテーマも突き詰めて考えると粗があったりするものです。完成させないうちに、「これはテーマがしょぼいから」といった理由で次に行くと同じことを繰り返すことになります。この先、どんどん自分でテーマを決めることができるようになりますし、そうであることを求められます。まずは研究を完成させるという感覚を身につけてください。これはトレーニングです。
社会に役立たないように思える。社会への応用を考えていない。
理想が高いと社会への貢献を目指したくなります。稀に例外はありますが、基礎研究の人は応用が見えないと嘆き、応用研究の人は使いみちが見えないと嘆きます。研究の成果を社会に役立てるのは難しく、おそらくあなたが考えているよりはるかに複雑な過程を経ないとたどりつけません。
おそらく「基礎研究は社会に直接は役立たないが、そういった蓄積が重要だ」的な言説は見聞きしたことがあるでしょうし、そのことに意義を唱える人はいないでしょう。しかし、このことを実感として理解できるのはかなり先になることだと思います。自分の成果を社会に役立てようと思うならば自分自身が動くしか無く、誰かがやってくれることはほとんどありません。その際に、ものを言うのは基礎データの蓄積です。遠くのゴールを目指すのは良いことですが、まずは足元を見ましょう。